
こんにちは。キャリアカウンセラーのかとうじゅんこです。
前回お伝えしたことは次のことでした。
・自分自身の時間を、一日の始まりまたは終わりに確保すること
・確保した時間でためしてほしいことと、それによって得られること
ここまででしたら、あなたもすでにご存じだったかもしれません。
・意識高い系の人がやってるやつでしょ
・自己啓発の本で、いくらでも言っていることじゃないの
とか思われたかもしれません。
今回は、
なぜ、これらの取り組みが「自分を取り戻すこと」につながるのか?
という視点から、
もう一歩突っ込んだお話をしてまいります。
もういいかげん、自己啓発本にはうんざりした。
もういいかげん、はっきりさせたい。
そう思うあなたにおすすめです。
(前回のブログはこちらからどうぞ)
肩書なしの自己紹介にチャレンジ
あなたは、このような問いが頭をよぎったことがあると思います。
「自分とは何か」
「自分は何者か」
「これまで過ごしてきた時間や人生とは、何だったのか」
感じたことのあるかたならお分かりかもしれませんが
ここでいう「何者」とは、なにも政治家、芸能人、社長とかといった、
世間で言うような、いわゆるりっぱな肩書のことではありません。
肩書なら、いくらでもなんとでもなります。
あなたが大学生なら「〇〇大学●〇学科の何年生」とか、
社会人なら「〇◎会社の社員」とか、
家庭を切り盛りする人なら「主婦」とか、
いろいろあります。
そういった肩書なしに、
初対面のかたが集まる場で
あなたは自分を紹介できますでしょうか。
肩書なしでの自己紹介、ためしに考えてみてください。
日々の中で、ふと感じる疑問「本当にこのままでいいのだろうか」
難しいチャレンジ、お疲れ様でございました。
わたしたちは普段から肩書を使って自己紹介することに慣れ親しんでいます。
肩書を使わないときは、出身地や住んでいる街といった「属性」を使うのも一般的です。
趣味や好きな動物、好きな食べ物といったことで自分を他者に紹介することも一般的ですね。
他者に対して自己紹介するときは、それで十分ですし、
一般的なのでみんなから受け入れてもらいやすいですね。
同じ出身地だったりすると、心の中ではもう、
それはそれは大変な盛り上がりだったりします。
「自分とは何か」
何もそんな面倒くさいことを考え抜かなくたって、
楽しいおしゃべりや、楽しい活動があれば日々は充実します。
新しいスキルを身に付けたり、人脈を広げたり、
話題の場所に出かけたり、仲間と協力したり。
そうやって過ごしていくときも、人生にはありです。



そして、同時にこのように感じたこともあるでしょう。
「本当にこのままでいいのだろうか」
充実した日々や、仲間との協力、
スキルを身に付けることがいけないと言っているのではありません。
そういったものは、人生に必要です。
ただし、
なぜ、それが自分にとって必要なのか?
このことを分かっているか分かっていないかは、大きな違いを生みます。
(この理由は後述します)
小手先のテクニックは、
いくらでも知ることができる時代です。
そして
移り変わりの速いこの世界で生き抜くためのスキルは、
いち早く情報を得て、迫られる前に身に付けることも重要です。
取り残されないよう、ついていくことに必死になることも必要です。
そして、
今こうやって自分が取り組んでいることは、いったい自分にとってなんなのか?
こういったことに気づくきかっけになるのが、
前回のブログでお伝えした取り組みなのです。
(前回のブログはこちら)
一日の始まりや終わりに自分自身のための時間を設け、
そこで自分の心身をチューニングし、価値観を見つめ、心を潤おすと
自然と、自分自身の在りかたに目を向けることになります。
そうすると、場合によっては
「本当にこのままでいいのだろうか」という
実は不穏な疑問を自分が抱いていることに気づきやすくなります。

なおかつ、自分ひとりのための時間であるがゆえに
その思いをしっかり見つめることが可能になるのです。
楽しさ、充実、にぎやかさ、社会的に正しいと言われる行動をとる中でも
この思いはふと湧いてくるかもしれません。
そして、そのにぎやかさや充実さや正しさは
あなたの心に湧いた不穏な疑問を
良くも悪くも簡単に吹き飛ばしてしまうでしょう。
(だからこそ、
自分だけの時間を確保することが必要なのです。)
「お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」
「お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」
子ども時代に、このような言いかたで大人からお叱りを受けたことはないでしょうか。
(わたしにはあります)
その当時は
なんて嫌な言いかただろうと思ったものですが、
今まさに自分がやっているこういった活動が
私の天命だと気づいている身としては、
非常に重く、重要な問いだと感じます。
(当時その大人が、その問いの重要さに気づいていたかどうかは分かりませんが……)
「お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」
この問いに答えられる人はどれだけいるでしょうか。
実はこの問いは、前述した
なぜ、それが自分にとって必要なのか?と同義です。
今あなたがやっていることに対して、
「本当に、これでいいのだ。これがいいのだ」
「これこそが自分の生きるみちだ」
「これこそ自分の求めてきたものだ」
心からそう言えるなら、構いません。
そして、
「このままでいいのだろうか」という想いを見つめた結果、
「いいや、違うぞ。自分はこんなことのために生きているのではない」
「こんな生き方は命の無駄遣いだ」
「自分は何者なのだろうか」
このような想いが湧いてくることがあります。
つまり、
「自分とは何者か」を考えるに至るのです。
そんなとき、
「わたしは一体、何をやっているのだろう。何を目指してこんなに頑張っているのだろう」と
強烈な疑問が湧いてくるのです。
「お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」
この問いにこたえてみてください。

自分とは何か?自分は何者か?これを考えるのが本来の在りかたである
「自分とは何者か」
これを考えるのが人間本来の在りかただと、私は思います。
自分が今やっていることが
自分にとって本当に必要で大事なことなのか、
自分にとってどういう意味があるのかを考えてみることで、
自分とは何者か、に気づきやすくなります。
もし今やっていることが本来の自分とかけ離れているのではないか?と気づいた場合には、
本来の自分であろうとする努力や工夫のしようがあります。
つまり、「自分を取り戻す」ことが可能になるのです。
自分とは何か。
自分は何者か。
自分の時間を確保することは、
この問いについて考えることができるから、
自分を取り戻すことにつながるのです。
言い換えると、
自分を取り戻すとは
自分とは何か、自分は何者かに気づくことなのです。
遠く離れてしまった本来の自分に、
今いちど気づくことなのです。
自分を取り戻すまでのステップ まとめ
さあ、自分を取り戻すまでのステップをおさらいしましょう。
一日の始まりや終わりに自分自身のための時間を設ける。
→そこで自分の心身をチューニングする。価値観を見つめる。心を潤おす。
→自分自身の在り方に目を向けることになり、
→「本当にこのままでいいのだろうか」という疑問に気づき、
→「自分とは何か」「自分は何者か」を考える。
→これに対する自分なりの理解にたどり着き、
→それをもとに本来の自分であろうとする努力や工夫を考えることができる。
→自分を取り戻すことにつながる
自分は何者かを理解することの効果
さらに突っ込んだご説明をしましょう。
「お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」
「なぜ、それが自分にとって必要なのか?」
このことを分かっているか分かっていないかは、大きな違いを生みますと前段でお伝えしました。
その理由について、まだお答えしていませんでしたね。
理由はたった一つです。
この問いの答えこそが、
「あなたが何者か」という答えだからです。
自分自身が何者か分かっている、
理解しているということは、
それだけで何ものにも代えがたい力だから、なのです。
その力は
移り変わりの激しいこの厳しい世界を
ゆるぎない自信と勇気で
焦ることなくしっかりと地に足をつけて進んでいける、
みちしるべのようなものです。
他人と自分を無駄に比較することもなくなります。
自分が何者であるかに気づくことは
同時に、自分も他者も、交換不可能な、かけがえのない、唯一無二の存在であることに気づかせてくれます。
唯一無二の存在は、本来比較不可能なのです。
(他者との比較についてのブログはこちら)
そしてだれひとり、同じ人間など存在しないということが
頭ではなく、心の底から、魂のレベルで理解できるようになるでしょう。
反対に、これがわからないときは、
不必要に他者と自分を比較し、
何が正解か分からずいつも不安で、
時代の流れという大きな力だけに身を預け、
そのときそのときで変わる流行や
会ったこともないインフルエンサーの意見にのっかり、
何も得られないまま、
「こんなはずじゃなかった」といって人生を終える可能性があります。
「自分が何者か」分かっている場合と分かっていない場合とでは
このように大きな違いが生まれるのです。
天命
「自分は何者か」
この問いの答えは、言い換えると天命とも言えます。
自分で自分に対して行う自己紹介とも言えます。
天命とは、あなたの存在そのもののこと。
天命とは、どこかのだれかから与えられるものではなく、
まさにあなたという存在そのもののこと。
そして、だれかから「これがあなたの天命ですよ」と言って教えてもらえるものでもありません。
(そういう鑑定士さんや占い師さんもいらっしゃるでしょう。そういったものを否定するつもりはありません)
天命とは、理解するもの。
気づくものなのです。
他人から与えられた答えほど
もろいもの、疑わしいものはないでしょう。
反対に
自分で考え、手に入れた理解、
悩み抜いて、たどり着いた理解ほど、
強くしなやかな答えはありません。
(徹底的に悩み抜くことについてのブログはこちら)
それは、あなたとあなたのみちが
これまでもこれからもずっと一体のものだったと気づかせてくれる
明るい光のようなものです。

あなたはただ、
自分に気づき、自分になり、自分であり続けるだけでいいのです。
あなたは他の何者かになる必要はありません。
ただ、自分に気づくことが必要なだけなのです。
もし、ひとりでは自分が何者かわからない、
自分を取り戻せそうにないというときは
あなたとみち応援室にご相談ください。
これまでのこと、これからのことをご一緒に考えて参りましょう。
この記事がお役に立てたなら、幸いです。