
こんにちは。キャリアカウンセラーのかとうじゅんこです。
「人の悩みや愚痴ばかり聞いていて、辛くなりませんか?」というご質問をいただくことがあります。
また愚痴は、聞く側だけでなく、言う側にとっても辛くなることがあります。
このため
「愚痴を言ったところで何も変わらない」と、ぐっとこらえて我慢して
厳しい毎日に立ち向かっておられるかたもたくさんいらっしゃるでしょう。
あなたとみち応援室では、日常会話でいう「いわゆる悩みや愚痴」を
「悩みや愚痴」とはとらえていません。
ではあなたとみち応援室のカウンセラーは、「いわゆる悩みや愚痴」をどうとらえているのでしょうか。
これをお読みになると、
「はなしても無駄だと思っていた」と我慢していたあなたも
「それなら、はなしてみようかな……」と思えるはずです。
それでは、奥深い、あなたとみち応援室のカウンセリングへご案内しましょう!
通常は、どういう心理で悩みや愚痴を言うのか
日常会話の中で、言う側はどういう心理で悩みや愚痴を言うのでしょうか。
次のような理由が考えられます。
1 ただ聞いてほしい
2 関係を深めたい
3 味方になってほしい
4 ストレス発散、感情・思考の整理
5 解決してほしい
一方、他人の悩みや愚痴を聞くのも、辛いものです。
こういった気持ちで愚痴や悩みを話されても
聞く側としては、次のような葛藤が起こることがあります。
聞く側の価値観や考えと異なる場合があり、同情も同感もしづらいことがある
→解決できない無力感を感じる、自分の時間やエネルギーを浪費してしまう、辛い気持ちが伝染してしまう
こうして他人の悩みや愚痴を「聞く」という行為そのものが心に負担として積もっていきます。
「サンドバックにされて、解決どころではない。ということは他人に悩み相談なんてしても、無駄なのだ」
というふうに感じることさえあります。
あなたとみち応援室では、どう聴くか
では、あなたとみち応援室ではあなたのおはなしをどう聴くのでしょうか。
あなたとみち応援室では、日常生活でわたしたちが他人の悩みや愚痴を聞くのとは異なる態度で
あなたのおはなしをお聴きしています。
あなたとみち応援室カウンセラーの「聴く」とは
通常、聞くと表現しますが、カウンセリングでおはなしを伺うとき、
あなたとみち応援室は「聴き」ます。
これは、相談者さまの言語的な表現や非言語的な表現などを含めた、
存在全体に積極的な関心をもって、
誠心誠意、集中することを表します。
一見すると聴く行為は受け身的な行為と受け取られがちですが、
「聴く」は能動的で積極的な意味を持っています。
日常で行われる相談や愚痴聞きでは、
相談する側としては自分自身の存在全体に関心が寄せられているというふうに感じることは稀でしょう。
これは、聞く側が受動的であったり、
存在全体への関心ではなく、話される内容について意識を向け、
内容について当人の立場からジャッジしている状態だからです。
無条件で肯定的であること
聴くとき、あなたとみち応援室は無条件で肯定的であることに注意を払っています。
日常では、好ましいこと、社会的に正しいこと、自分と意見が合うことについては肯定するけれども、
そうではないことは無視したり、否定したりすることが少なくありません。
あなたとみち応援室では、相談者さまの存在そのものに対し肯定的であることを大切にしています。
これは、より具体の言葉で言えば、条件付きではない、温かい関心をもって、受けとめることです。
これによって、相談者さまであるあなたは、自由に語ることが可能になります。
苦悩や混乱が沈静化され、勇気をもって自己を見つめることが可能になります。
自己を見つめることで、ご自分のことを理解できるようになります。
これを自己理解といったりします。
(自己理解については、過去のブログ「自己理解の重要性とは(1)」も参考になさってください。)
同情や同感ではなく、共感的に理解する

日常生活では、「あー、それ、私もわかる~」とか「そりゃそうだよね」と言って、
お相手の話すことを、自分の経験や感情から推し量って、同情や同感を示すことがあります。
これはこれでストレス発散になりますし、仲間がいることを感じられて、うれしいものです。
日常会話でしたら、同情や同感は、決して悪いものではありません。
そして、同情や同感は、及ばない場合もあります。
どういうことかと言いますと、
例えば嫌悪感を抱くような内容での相談・愚痴を聞いたとき。
同情や同感を示せないことがあると思います。
ご経験、ありませんでしょうか。
同情や同感では、内容によって、できるできないが左右されてしまいます。
そして、同情や同感は即効性があるものの
効果は一時的であり、効果切れも早いものです。
なぜなら同情や同感は、
得られたときその一瞬は気持ちを和らげる効果はありますが、
あなた自身の在りかたを「変容」させるまでの力を持たないからです。
あなたとみち応援室のカウンセリングは
どのような内容のご相談であっても
混乱や苦悩、悲しみ、怒りといったお気持ちを鎮め、
これらによって見落としたり、忘れたり、気づいていなかったご自身の能力や解決策に気づき、
自らの力で課題を克服していくことができるよう
「変容」(または成長とも呼びます)していけるよう支えることを主な目的としています。
変容後は、かつて悩んだことと似たような場面に出会ったとしても
ご自分の力で解決できたり、
そもそも解決の必要性さえ感じない(つまり、悩むことさえない)かもしれないのです。
「変容」であるため、このように効果が持続することが見込まれます。
カウンセリングでのこの「変容」を支えるのが、
同情や同感とは全く異なる「共感的な理解」です。
共感的に理解するとは、
おはなしをしっかりとお聴きし、正確に理解することです。

あなたとみち応援室カウンセラーは、
たとえ同情や同感の及ばないところでも共感的に聴き、
できるだけ正確に理解するトレーニングを積んでいます。
しっかりとお聴きし、正確に理解するために、
相談過程はじっくりゆっくり、一歩ずつ進んでいきます。
悩みは〇〇、〇〇は天命の呼び声
ここまででしたら、
カウンセリングを受けた経験のあるかたは
「どこのカウンセラーだってそんなことはやっている」と思われたかもしれません。
ここから先は、あなたとみち応援室の大きな特徴である「天命」についてお伝えします。
私は、お悩みや愚痴は、
そのまま「お悩み」「愚痴」であるとは考えていません。
では、どう考えているかというと、
「嘆き」です。
嘆きって、日常であまり使わない言葉ですので
久しぶりに見た、聞いたというかたも多いでしょう。
けっこう、インパクトのある言葉ですよね。
一見、悩みや愚痴のように感じられるおはなしの中に、
ご相談者さまの嘆きがある、と私は考えています。
嘆きは単なる感情ではなく、「問い」や「転機」につながるもののことです。
嘆きは人生の本質に触れた痛みや問いかけそのもののことです。
相談者さまの語りにはこういった嘆きが含まれている、ととらえています。
ですから、冒頭でお話しした「人の悩みや愚痴ばかり聞いていて、辛くなりませんか?」に対してはこう答えます。
「悩みや愚痴ではないのです。
相談者さまのおはなしは、嘆きなのです。
悩みや愚痴だったら辛くなりますが、嘆きですから、愚痴や悩みを聴くのとは異なることをしているのです」と。
嘆きはまた、「天命」からの呼び声と言い換えることが可能です。

悩みや愚痴が出るのは、
あなたが「本来の自分」(=「天命」)から離れた状況に身を置いているがために
本来の自分から、
「これ以上離れてはならない、気づけ、考えろ、それでいいのか、おい」
というような、
内容は漠然としつつも、間違いなく呼びかけ、問いかけられているからなのです。
つまり「天命の呼び声」だと私は考えています。
悩みは嘆き、嘆きは天命の呼び声なのです。
(天命については、またいずれ、詳しくお伝えしますね。)
相談することは、かっこ悪いことじゃない。では何か。
冒頭で
愚痴や悩みは、言う側にとっても辛くなることがあり
それだけに、はなしても無駄と我慢しておられるかたもいらっしゃるとお伝えしました。
もしかしたら、
相談するって、悩みを言うって、かっこ悪い自分を認めるようで、
嫌だと感じるかもしれませんね。
「相談することは、かっこ悪いことじゃない」
こんなキャッチフレーズを見聞きしたことがあるでしょう。
かっこ悪いんじゃないんだったら、じゃあ何でしょう。
(だいたい、キャッチフレーズの後には、
この答えがかかれてないんですよね。困りますよね(^^;))
そしてここまで読んでくださったかたなら、もうおわかりです。
一見愚痴や悩みのようであっても、
それを愚痴や悩みと決めつけず、
嘆きが含まれていると考えて、
無条件で肯定的に、共感的に理解する相手にはなしてみることは、
かっこ悪いことでも、単なる慰めでもなく、
変容への一歩を踏み出す、力強い積極的な行為なのです。
このおはなしが、あなたのお役に立てたなら幸いです。
これまでのこと、これからのことをご一緒に考えてまいりましょう。