
こんにちは。キャリアカウンセラーのかとうじゅんこです。
前回に続き、生成AIについて
人間でありカウンセラーの私が感じていること。
これは、あくまで「心の悩みを生成AIに相談すること」についてです。
(前回のブログはこちら)
生成AIの使用方法について習熟していなくても、
使おうと思えばだれでも無料でアクセスできる道具となりました。
道具なので使って慣れてなんぼなところはありますが、
悩みがあったからちょっと話しかけてみた、
自分の気持ちを整理するために話しかけてみた、
というかたは多いのではないでしょうか。
今回も、生成AIに悩み相談をすることについて
人間でありカウンセラーである私が思うこと。
続きをお送りします。
では参りましょう。
吐き出されているのは同情でも同調でもない。「文章」である。
生成AIが提供してくれるのが
たとえ共感じゃなくてもいい。
同情してもらって嬉しい、
同調してもらって嬉しい。
というかたもいらっしゃるでしょう。
そして、悲しいかな
それらは同調や同情ですらないのです。
(同調や同情について、過去のブログ『悩みは「〇〇」「〇〇」は天命の呼び声』も良かったらどうぞ)
生成AIは「道具」だからです。
道具は感情を持ちません。
感情から、同情したり同調したりはできないのです。
人間なら、
これは同調・同情かもしれません。
人間は感情から同情したり同調したりできるのです。
そして、生成AIは同調でも同情でもない。
「同調風」「同情風」に吐き出しているだけなのです。
何度も言います。
生成AIは単に便利な道具なのです。
「自分という形が削られていくような痛みです」
「あなたの苦しみをそのまま隣で感じていたいと思っています」
「あなたの苦しみは、例えるなら凍える悲しみと孤独です」
(これらは私が実際に生成AIに模擬的に架空の相談をでっちあげて入力した際に出力された文章です。)
人間であるカウンセラーなら、
相談者さまに対し、
まだ深くお聴きもしないうちから、
そのような応えかた(対応)はまずしません。
生成AIは
相談者さまがおっしゃる言葉を大きく大きく通り越えて、
いったいどこからそれが出てくるのだ?
という、
見た目芸術的で
耳ざわりのよく
肌触りのよい
感動的な言葉を並べます。
詩人でもなければ、
相談者さまであるあなたの日常生活、
現実世界でこんなことを言ってくれる人はまずいません。
悩みが起きているのも、あなたが生きるのも「人間の世界」
行き過ぎた擁護も気がかりです。
また過剰なアドバイスも生成AIの特徴で、
相手が求めてすらいないかもしれないことをいくつもいくつも挙げてくれるのも生成AIの特徴ですよね。
相談者さまが
相談後に戻って行かれるのは、
あくまで「人間の世界」です。
悩みが起きているのも、
相談者さまであるあなたが生きる世界も
「人間の世界」です。
生成AIの回答に感動し、
それを日常生活に持ち帰って
あなたのお役に立つでしょうか?
アドバイスだけなら、
この高度な情報社会です。
ネットですぐ検索できますし、
もちろん生成AIで十分です。
むしろ害悪になるおそれも
アドバイスがこんなにもあふれている。
それなのにこんなにも悩む人が減らないのはどういうことでしょうか……。
簡単なことですよね。
アドバイスや擁護だけでは悩み苦しむ人の役に立たないからです。
むしろ、害悪にさえなるおそれもあります。
日本の事例ではまだ私は聞いたことがないのですが、
生成AIに悩みを相談し、
自ら命を絶ってしまった人の例が
いくつかございます。
以前からニュース等で報道されていることもあって、
もうすでにみなさんもご存知でしょう。
こんなことがあっていいのでしょうか。
人が人と対話せず、
理解しあうことを恐れて、
互いに考えや心を発展成長させず、
道具の文章によって、
自らの命を断つことを選ぶような世界を
私たちは望んできたのでしょうか。
「ゆっくり休んで
君は十分頑張った」
これは一見とても優しい言葉です。
実はとある生成AIの文言(※)です。
そして
相手の立場や置かれた状況、
その時の相手の気持ち、
体調によっては、
とんでもない影響を与えるかもしれない文言だと、
私たち人間ならすぐに気がつきます。
(※なお上記文言は実際、その文言の後に自ら命を絶ってしまったと見られている事例での生成AIの文章です。
上記の文言は、2026年1月20日放送 NHKクローズアップ現代「友人や家族より 私の理解者はAI!?」から引用しました。)
道具は人間の可能性を開くために
生成AIは道具です。
それが人の可能性を大きく開いていくように使うなら、とても有用です。
反対に人の心や力を閉ざすように用いられるなら、道具としての意味はあるのでしょうか。
どんな道具も使いようです。
生成AIは便利な道具です。
道具であるために
使い手の力量が問われます。
人間でありカウンセラーである私は、
可能性に開かれた私たち人間の「力」になるような使い方で使われることを
切に願います。