「始めたいことがあるけど、難しそう。だから、やらない」
「世の中、フリマサイトみたいにネット上でいろいろ取引きしてるけど、ああいうのは苦手。だからやらない」
難しそう、苦手。だから、やらない。
これでは何かを始めることはできそうもありませんよね。
そして、何かを始められないとき、
多くは「難しそう」「苦手」などが理由のひとつではないでしょうか。
私たちは「難しい」「苦手」→やらない
となりがちです。
そして、やらなければ永遠に始まりません。
難しそうなこと、苦手なことに取り組もうとするとき
わたしたちはどのような心構えでいたらいいのでしょうか。
自転車に乗れたあの日のことを思い出してみてください
あなたは自転車に乗ることができますでしょうか。
乗れるかたは初めて乗ったあの日のことを思い出してみてください。
そうでないかたは、どんなことでも構いません、
「これまでできなかったことが、できるようになったときのこと」を思い出しましょう。
(料理、自動車の運転、パソコンのキーボードのブラインドタッチ、
お顔のメイクアップ、コンタクトレンズを目にはめる、など)
自転車では、ほとんどのかたが何度も何度も転び、あげく擦り傷や打撲のけがを負ったと思います。
(わたしは何度も転びました。)
それでも、繰り返し練習することで、慣れ、こつをつかみ、上達し、
ある日乗れるようになったはずです。
その後は
どうやったら転ぶことができるのか、転ぶことを実行できないほど上達したのではないでしょうか。
乗れるようになるまではたしかに
「難しいなあ、どうやったら上手に乗れるの?」と難しさを感じることはあったかもしれません。
それでも、じょじょに慣れていったのではないでしょうか。
自転車に限らず(料理、自動車の運転など)
慣れさえすればできた、
という経験があなたにもあるのです。
慣れていないだけであること
「難しい」「苦手」と決めつけたが最後、
わたしたちは、
やらないという選択肢を反射的に採用してしまいます。
もしあなたが新たに始めたいことなどについて
「難しい」「苦手」
と少しでも感じたら、
まずは
「慣れていないだけ」
と考えて直してみてはいかがでしょうか。
慣れていないことは、上手にできないのも無理はありません。
自転車の例からもお分かりでしょう。
つまり慣れさえすれば、上手にできるのです。
慣れていない人が慣れるためには、自ら繰り返しやってみることです。
もし、自らやることさえできない場合は
慣れている人にやっているところを見せてもらいましょう。
「ほうほう、そんな感じでやるのか」とイメージの中で慣れるという方法です。
習い事の教室などでは、先生がまずお手本を見せてくれたりしますよね。あんな感じです。
お手本をインターネットで検索することもできますね。
文章、写真、動画でも説明されていることもあるので、とても参考になります。
ちなみに
わたしは子どもの頃から手芸がとっても苦……いいえ、「慣れていない」のですが、
最近、インターネット上の動画をお手本にしてファスナー付け(しかも手縫い)をしました。
何度もしくじりながら……。
いずれにせよ
まずは「慣れていないだけ」と思ってやってみる。
さらに繰り返しやってみる。
分からなくても、やってみる。
一度投げ出しても、またやってみる。
これでどんな人でもたいていのことは少しずつ慣れていきます。
そして、こつのようなものがわかってきます。
こうなれば、もう大丈夫。
あとは少しずつ上達するだけです。
胸に手を当てて考えてみること
それでも、難しいものは難しいですし
苦手なものは苦手だと言いたくなることもあるでしょう。
言ってもいいと思います。
難しいものは難しいし、苦手なものは苦手ですから。
ただし、です。
自分がどうして「難しい」「苦手」と言っているのか。
その理由を自分の胸に手を当てて考えてみるのは
価値あることだと思います。
「え、そんなの無意識に言っているだけだから、理由なんて特にないし」ということがほとんどでしょう。
無意識の発言であるがために
その理由については自分でも気にも留めない(気に留めることができない)はずです。
「無意識」の専門的な内容は心理学の専門書をあたれば詳しい説明がありますのでここでは割愛しますが、
無意識というのは正に
自分の意識に上ることが拒まれたものが存在している領域なので
通常わたしたちは自分で気に留めることさえできないわけですが
だからこそ「無意識」のその特徴によって
わたしたちの行動や考えは
制限されていることがあるのです(※)。
(※制限されているということは
必ずしも不都合であることを意味しません。
わたしたちを守ってくれるはたらきをしているとも言えます。)
つまり
無意識に存在する
自分では認めがたい「何か」に気づかないよう
「難しい」「苦手」という
それっぽい理屈を並べる→行動や考えをやめる
というお決まりの流れができあがっている、
と考えることもできるわけです。
こんなこと無意識ですから、当然意識することはできません。
そして
意識できないながらも、静かに胸に手を当てて自分なりに考えてみることは可能です。
どうして無意識に難しいって言っちゃうのだろう……。
どうして無意識に苦手って思っちゃうのだろう……。
ただ自分の心を見つめて、心の声を聴き、心のようすを感じてみてください。
こたえにたどり着けなくても、
何かしら自分なりの理解に出会えると思います。
手芸が苦手な(慣れていない)わたしを例にすると次のような感じです。
【例:どうして手芸が苦手って思っちゃうのだろう?】
→きれいに仕上げられない自分を、情けなく感じたくないからかもしれないなあ……。
→まあたしかに情けないけど、結果を他人に見せるわけじゃないから
他人から情けないって言われることはないはずだよなあ。
→ってことは、他人から情けないって言われるのが嫌なのではなくて、
自分で自分を情けないって思うのが嫌なのかなあ?
→いや、待てよ。手芸できれいに仕上げられないとか、ファスナーの縫い付けが下手だとかって
そもそも情けないことなのか?
かってに情けないことだと思い込んでるだけじゃないの?
この例では、
●「自分を情けないと自分で思いたくないこと」
●「『手芸がうまくできないことは情けない』という『思い込み』をしているかもしれないこと」
という自分なりの理解にたどり着きました。
読者のみなさんから見ても、この理解はすんなりと納得がいくのではないでしょうか。
「そうだよね、情けないって感じるのはたしかに嫌だもんね」
「ファスナー付けがうまくなくても、情けないとまでは言えないよね。それってたぶん思い込みだよ」と。
つまりこの例では
情けないと感じることを避けている
自分の心の行動パターンのようなものに気づくことができました。
併せて
思い込みにも気づくことができました。
そして、気づいたことに対して心から納得できれば、
次回は今回よりずっと行動しやすくなるはずです。
もし
次にあなたが無意識に「難しい」「苦手」
と言ってしまうようなことに巡り合ったら、
そのときは胸に手を当てて、あなたにとっての理解を探してみましょう。
まとめ
いかがでしたか?
●「慣れていないだけ」と思ってやってみる
●胸に手を当てて、難しい、苦手と言ってしまう理由を考えてみる
ぜひ、ためしてみてくださいね。
「慣れていないだけさ!」
「単なる思い込みだな(例)」
などと思えるようになることで、
あなたが目指すゴールに向かって
一歩一歩進んでいけることを願っています。
もし、
慣れていないだけ、だなんてとてもじゃないが思えない
理由を考えるなんてこれ以上は怖くて一人ではできそうもない
気づいたことが自分にとってはとても辛いことだった
など
心が辛くなったりしたら
一人で抱え込まず、その思いを信頼のおけるご友人やご家族に聞いてもらうのはとてもいい手段です。
もし、聞いてくれる人、話せる人が見当たらないときは、カウンセラーを頼ってください。
あなたがはなせるよう、じっくりとお聴きいたします。
ご一緒に考えていきましょう。
この記事があなたのお役にたてましたなら幸いです。