夏休みも後半にさしかかりましたね。
お子さんはどのような夏休みを過ごしていらっしゃいますか。
せっかくの夏休みですから、
学校生活では得られないような成長の機会にできたらいいな
と思う親御さんも多いのではないのでしょうか。
(わたしもその一人です)
「成功体験が自己肯定感を育む」こんな言葉を見聞きすることが増えました。
成功体験を積むことができる夏休みにしてあげたいと思われるかたも多いでしょう。
「成功することもあれば、失敗することもあるんだよね」
確かにそのとおりです。
成功についてはさておき
「失敗」はどうとらえればいいのでしょうか。
私たちは物事に取り組むとき(取り組んでもらうとき)
どのようなことを心に留め置けばよいのでしょうか。
身近な課題に取り組む
「かわいい子には旅をさせよ」
あまりにも有名なことわざなので、一度は見聞きしたことがあると思います。
昔の旅は苦難が多かったことから、
子どもを愛するならば世間で出会ういろいろの苦難を体験させるほうが本人のためになる
といった意味だそうですね。
意図して苦難を与えることについては、ややためらうかもしれませんが
お子さんに見合う課題に挑戦して得られることというのは
いずれ親元を離れて自立するお子さんの助けとなるでしょう。
いきなり本当の旅に送り出すのはハードルが高いですが
身近な家事を経験してもらうことは
比較的不安なく取り組んでもらいやすいことではないかと思います。
例えばごみ出し。
一口にごみ出しと言っても、実際に行うとなると
こなさなければならないタスクが複数存在しますね。
一例ですが
「今日の収集品目を確認する(燃えるごみの日とか燃えないごみの日とか、缶の日とかビンの日とか)」
「家じゅうのごみ箱を一か所に集める」
「集めたごみの量に見合う大きさの指定ごみ袋を選ぶ」
「ごみ箱から指定袋に入れる」
「袋の口をしっかりしばる」
「その袋をごみステーションに置いてくる」
(ただしご家庭によってこれら工程は異なるでしょう。)
すべての工程を任せるのが難しければ
これらのうちのどれか一つ二つを任せてこなしてもらうのも、ありだと思います。
各工程にはそれなりに苦難があるでしょう。
収集品目を確認するというのは
まだ文字の読めないお子さん・苦手なお子さんにとっては文字を読む練習になるかもしれません。
集めたごみの量に見合う大きさの指定ごみ袋を選ぶのも
経験の浅いお子さんには試行錯誤が必要かもしれません。
ごみ箱から指定ごみ袋に入れるというのも、こぼさないよう慎重に行わねばなりません。
こぼした場合には掃除を自分で行うところまでの想像力が必要になります。
袋の口をしっかりしばるというのは手先の不器用な場合には良い練習になりますし、
しっかりしばるの「しっかり」の意味合いまで自分で考えることを求められます。
(この場合、袋の口から中身がこぼれないようにすることであり、
収集してくださる作業員のかたの手間を増やさないといったところまで想像力が要求されますね。)
失敗?
「任せてもし失敗したら、家事が嫌いにならないだろうか。自己肯定感が下がらないだろうか」
というご心配もおありかと思います。
少し頑張れば失敗せずにできるレベルはどこかという
ぎりぎりのラインを見極めるのは難しい部分があるかもしれません。
そして、できれば失敗させずに成功体験を積ませたいと思うのも、ごく自然な考えだと思います。
「自己肯定感」ブームの中、
成功体験がいわゆる自己肯定感を育むという情報が世の中にはたくさんありますし
この世の中では、成功体験がいわゆる自己肯定感を高める一助になるのは
ある意味では事実かもしれませんし、ある意味では無理もないと思います(※)。
物事に取り組んで成功したら、やはりうれしいですものね。
(※いわゆる自己肯定感とは何かについては、いずれ別のブログでお話ししたいと思います。)
そして「失敗」とはどんなことでしょうか。
誤って指定された品目以外のごみを出してしまうことでしょうか。
ごみの量を見誤り選んだ大きさの指定ごみ袋では入りきらず、
もう一枚指定ごみ袋を使ってしまうことでしょうか。
ごみ箱から指定ごみ袋に移す際、周りを汚してしまうことでしょうか。
我が家では手先が不器用な子どもに、
たたんでおいた段ボールを資源ごみの日に
「紐でくくってまとめる」「ごみステーションに置いてくる」
を担当してもらったことがありました。
もう数年も前のことです。
親としての見極めがまったく足りませんで、
ごみステーションの手前でくくっていた紐がほどけてしまい、
段ボールの束は崩壊してしまったそうです。
子どもからその旨の報告を受け、助けを求められた私は
心のどこかでそんな未来を少しばかり想像していながら
内心「あー、やっぱり面倒なことになった」と思い
そんな表情を我が子に見せてしまいました。
そんな表情のまま、子どもに文句をつけながらごみステーションに向かった記憶があります。
私はこれこそ「やってはいけないこと」だったと思います。
子どものやる気を削いでしまうおそれがありますよね……。
面倒なことになったというような表情をする代わりに
「ま、そんなこともあるでしょうなあ」くらいのニュートラルな表情をするか
せめて黙って段ボールを括りにごみステーションへ行けば良かったのでしょう。
次回からは同様のことに出くわしたときにはそう振舞おう、そう思いました。
(私にとっては今でも難しい課題です……。)
「失敗」とはどんなことでしょうか、という問いに戻ります。
家事に限らず、何かに取り組んだ時に起こる「失敗」とは、一体どんなことでしょうか。
誤解を恐れずに言えば、失敗はありません。
どれも失敗ではなく、敢えて言葉にするならば「しくじり」です。
もし誤って指定された品目以外のごみを出してしまったら
いま一度取りに戻り、改めて指定日に出す。
次は誤らないよう一層注意する。
もしごみの量を見誤って指定ごみ袋を選んでしまったら
いま一度適切な大きさの袋に入れ直すなり、袋を追加するなりする。
次はもう少し量について考えて袋を選択する。
周りを汚してしまったら、掃除する。
次はより慎重に袋に移す。
しくじったら、なんとか工夫してリカバリーする。
そしてその「しくじり」から
フィードバック(今回の評価と、
次回、よりうまくいくためにはどう行動したらよいかについての周囲からの意見や自分なりの考え)
を得る。
ただそれだけです。
「面倒なことになった」という表情を見せて
文句を付けながらごみステーションに向かった私の行動も「失敗」ではありません。
子どものやる気を維持するにはこれこそやってはいけないことだなと気が付いて
次につなげているのですから。
(そして反省しています……。)
物事に取り組むとき、最も大事なことは
では、失敗がないというなら、物事に取り組むとき、
最も大事なことは何なのでしょうか。
成功することでしょうか。
「成功体験が自己肯定感を育む」のか?ということと併せて整理しながら考えてみましょう。
まず、ここまでお話ししてきたとおり
「失敗」というものはなく、あってもそれは敢えて言葉にするならば「しくじり」です。
失敗を得るということはありません。
そして物事に取り組めば、
結果はすごく成功するかそれなりに成功するかしくじるかのいずれかであり
いずれの場合も得るのはフィードバックです。
だとすると「成功体験が自己肯定感を育む」ということに対して
首をかしげたくなってきませんでしょうか。
あなたは、しくじりながらも次のような思いを抱いた経験が過去にいくつかあると思います。
「自分は今回この方法で挑戦した。
その結果、今回はしくじったので、次回はこうすればいいのかもしれない。
じゃあまた次にやってみるか」
このような思いは
とても清々しく、生きるエネルギーを感じるものだと思いませんか。
力強く、どっしりとして、勇気あふれる思いだと感じませんか。
成功することも、しくじることもある。
成功したときはもちろん、しくじったときでもフィードバックが得られる。
成功でもしくじりでも、どちらの体験をしてもそれでいい。
こう思える心持ちこそが
いわゆる自己肯定感よりもずっと大事なことだと思えてきませんか。
成功やしくじりといった「結果」次第で
自らの評価を上げ下げするのではなく、
結果を生むまでの工程に取り組んだということ、
そしてその取り組みから得られたフィードバックをもとに
次の行動を起こせるような在り方こそが、ずっとずっと大事なことだと思います。
まとめ
さて
物事に取り組むとき(取り組んでもらうとき)
どのようなことを心に留め置けばよいのかについて、
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざから
お子さんのごみ出しの事例を交えてお話してまいりました。
まとめると次のようなことになります。
・失敗ではなく、敢えて言葉にするならそれは「しくじり」
・成功しても、しくじっても、フィードバックを得られる
・成功でもしくじりでも、どちらの体験をしてもいい、と思える心持ちが大切
これは何もお子さんだけに言えることではありません。
私たち大人にとっても同様です。
成功もしくじりも、どちらの体験をしても、それでいい。
そう思える在り方で、これからを過ごせるといいですね。
もし、過去のしくじりの経験が今のあなたを辛くさせているときは
一人で抱え込まず
その思いを信頼のおけるご友人やご家族に聞いてもらうのはとてもいい手段です。
もし、聞いてくれる人、話せる人が見当たらないときは、カウンセラーを頼ってください。
あなたがはなせるよう、じっくりとお聴きいたします。
ご一緒に考えていきましょう。
この記事があなたのお役にたてましたなら幸いです。