どんな背景を持つ人物で、どんなカウンセラーなのかをご紹介します。
「自分に気づき、自分になり、自分であり続けること」を支援するカウンセラー
はじめまして。
カウンセラーのかとうじゅんこと申します
中学2年生~39歳くらいのかたを中心に
学校、仕事、日常生活で感じる心の悩みをお聴きしています。
そして
頑張りすぎて疲れ果てそうなあなた
そして今のままでは「もう限界」なあなたが
自分を取り戻し、自分を大切にし、本来持っている能力を自由に生かしながら
いきいきと輝いて生きることができるよう、支援させていただいております。
ここ「あなたとみち応援室」は
あなたが本来持っている能力を発揮して
自由な気持ちでいきいきと生きていくことを目指して
カウンセリング、コーチング等の方法で支援します。
私はこれを、人が「自分に気づき、自分になり、自分であり続けること」を支援する、と呼んでいます。
現在このような活動をさせていただいているのは、私自身がとても長い間苦しんだ経験を持っているからです。
私は地元の大学を卒業後、
官公庁に就職し、15年以上、働いていました。
しかし体調の悪化により退職。
療養中、これまでの人生を振り返る中で、辛さや苦しさを我慢したまま
無理やり生きてきたことに気がつきました。
自分が自分であることにふたをして、見ないようにしてきたのです。
このことに気がついたとき、後悔というレベルをはるかに超えて、
これまでの数十年間の自分を激しく憎みました。
とんでもないことをしてきた。
もっとできることがあったはずなのに。
私の数十年間はただ苦しむ、我慢するだけの時間だったのではないか、と。
一体、私の何がいけなかったのだろうか。
このことを考えるために、幼いころからのことを、ひとつずつ思い出してみることにしました。
これからお話しすることは、
あくまでも私の目から見た私の人生の一部です。
のびのび・いきいきと過ごした子供時代
幼いころから
「女の子は勉強すると生意気になって嫁のもらい手がなくなる。勉強より家事ができるほうが大事」と言われて育ちました。
21世紀の日本人から見たら、あり得ない考え方だと思われるでしょうし、
当時においてもだいぶ時代にそぐわない考え方の家庭だったと思います。
そんな影響もあってか、小学生時代はあまり勉強らしいことはせず
外で思い切り遊んで、自宅に帰ればこたつに潜り込んで大好きなテレビアニメを見てすごすような
のびのび、のんびりとした子どもでした。
読書も好きで、地元の図書館にはよく本を借りにでかけました。
性格としては、思いついたおもしろいアイデアはすぐに実行せずにはいられないような大胆なところがありました。
例えば学校では新しいクラブ活動を提案したりもしました。
先生がたも提案を快諾してくださり、アイデアを形にする楽しさややりがいを感じながら、いきいきと過ごしました。
中学校に入ると、周囲はすでに学習塾通いをしている友達がほとんどでした。
それまであまり勉強熱心ではなかった私もこれはまずいなあと重い腰を上げます。
周囲から影響を受けて自分の行動を変えた初めての経験かもしれません。
とはいえ、勉強が嫌いではなかったこともあり、この変化は私にとって良い影響を与えてくれました。
その後の進学先は高校・大学ともに地元の国公立でした。
高校は県立ながらとても自由な校風で、指定の制服もなければ、これといった校則もなし。
先生がたも勉強しなさいとは一言もおっしゃりませんが、
同級生も先輩がたも自らよく学び、よく考えるかたばかりでしたので、とても良い影響を受けました。
進学先の葛藤。仕事では違和感と疑問を無視し続けた
今思えば、納得のいかない人生が姿を現し始めたのは高校卒業後の進路選択からだったのかもしれません。
女の子は勉強すると生意気になって嫁のもらい手がなくなるという考え方の家庭でしたから、
学びたいことのために県外の大学へ進学するなんてもってのほか。
地元であっても私立への進学は認めてもらえませんでした。
また当時の私にはそういった家庭の考えを覆せるだけの知恵も勇気も情報もお金もありませんでした。
自分の無力さと希望との葛藤の中、
せめて自分にできることはなんだろうと模索し、地元の大学の経済学部に進学しました。
経済学部を選択した理由は、なんとなくつぶしが利きそうだから、というもの。
今思えばなんとひどい志望動機だろうと思いますが、当時の私にはほかの選択肢がありませんでした。
就職においては、人のためになることがしたい、と漠然と考えていました。
当時、キャリア教育は今ほどさかんに行われていませんでした。
就職について深く相談できる相手も身近におらず
情報にアクセスしやすい時代でもなかった当時の私には
「人のため」=公務員という道はなかなかいいじゃないか、と思えました。
これについても振り返ってみればなんと狭いものの見方だろうと思います。
採用試験に無事合格した私は、希望どおり官公庁に入庁しました。
就職氷河期ということもあり、安定した働き口があることはありがたいといわれる時代でした。
先輩職員がたはどなたも親切で良いかたばかり。たくさんの知識を得て、
いろいろな経験を積むことができました。
本当に恵まれた新人時代でしたので、
当時わずかに抱いた自分の「残念な気持ち」には目をつぶることにしました。
それは「思っている以上に、ここではやりたいことができないものなのだな」という気持ちです。
官公庁ですから、前例踏襲が当たり前。
前例踏襲というと聞こえが悪いかもしれませんが、そうとも限りません。
短期間に膨大な仕事をこなさなければならないことが多いので、
うまくいった過去の事例を適用することは決して悪いことではありません。
スムーズに物事を行うことに適した方法なのです。
とは言え、私は思いついたおもしろいアイデアを実行せずにはいられない性格です。
「残念な気持ち」を抱くのも当然なのですが、
まだ新人でこんなに恵まれた環境にいながらそんな気持ちを抱くことは
いけないことのような気がしました。
それに、部署を異動すれば異なる仕事に携わる機会があるのだから
今はとにかくいろいろな経験を積むことを目的にして頑張っていこうと自分を納得させました。
その後は、ジョブローテーションといって2~4年ごとにさまざまな部署へ異動を繰り返し、
幅ひろく仕事をさせていただきました。
毎年1回、自身の異動希望などをまとめた書類を人事部門へ提出するのですが、
異動先の希望がかなえられたことはありませんでした。
異動するとそれまでとは全く異なる仕事を任せられるので、
どの職場でもその職場なりの大変さがあり、それだけに学びもありました。
仕事そのものにはやりがいも感じましたし誇りも感じていました。
前例踏襲ばかりでもなく、新しいやり方でチャレンジする機会もありました。
それでも「残念な気持ち」に変化は起こりませんでした。
そして「これは私にとって窮屈な職業人生なのでは」
「これでいいのだろうか」などといった違和感や疑問が募るばかりでした。
この違和感や疑問に辛く苦しい思いをしながらも、これを無視して働き続けました。
自分の心にふたをしていた日々
一方、プライベートではこの間に結婚、出産というライフイベントを経験しました。
子育てをしながらの勤務は本当に大変で、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
そんな当時の私には、違和感や疑問についてしっかりと考える余裕はありませんでした。
「養わなければならない子どもがいて、育児も家事も仕事もあって毎日が忙しい。
今さら転職なんて無理な話だし、そもそも部署を異動するだけで転職レベルの変化が起こるわけだから
また異動すれば違う仕事に就けるわけだ。そのときは自分の良さが発揮できる職場かもしれないよね」と。
「それなりに長く続けることができていて、やりがいも誇りも感じている仕事から離れたくないし」と。
「それに辞めたところで、就ける仕事なんてないし」と。
でも、本当は余裕がなかったからではないのかもしれません。
今思えば、自分の率直な本当の気持ちに気づいて、
人生を大きく変えなければならなくなることが、怖かったのだと思います。
怖いから、自分の心にふたをして、見ないようにしていたのだと思います。
何一つ決めないまま、退職
こうしてただ慌ただしく過ごす私に、少しずつ体調の変化が表れました。
体の具合の悪いときと良いときを繰り返すのですが、
特にどこが悪いと指摘されることもないまま数年間、内科での対処療法でしのいでいました。
あるとき別の科で指摘されて総合病院を受診したところ、とある病気が見つかりました。
この体調の悪さに名前がついたことで、ホッとしたのを覚えています。
悪くなったり良くなったりを繰り返す身体で、その後も数年間、勤務を続けました。
職場では「無理しないでね」と温かい言葉でどれほど声をかけられたでしょうか。
しかし不器用で頑固な私は、上手に病気と付き合うという状態とは程遠く、
体にも心にも無理をして働き続けました。
まるで仕事にしがみつくかのような状態でした。
しかしあるとき、もうこれ以上はこの体に無理をしてはいけない、と感じる出来事がありました。
それを機に、私は仕事を辞める決断をしました。
その時は、先のことなど何一つ決めていませんでした。
自分自身に問い、自分を憎む
仕事を辞めた私は、療養に専念しました。
できるだけ日常生活を送りながら、具合が悪ければ休み、良ければ趣味の読書などを楽しみました。
療養を始めてからは、働いていた時に感じた違和感や疑問のことを少しずつ考えるようになりました。
そして、こうなってしまった理由や原因を知るために、幼い頃からを含め
これまでの経験を思い起こしてノートに整理するようになりました。
最初に書いたのは、やりがいも誇りも感じ一生懸命に働いていながら
ずっと「自分は何者でもない」と感じてきた、いうことでした。
「何者」にもならなかったあげく、一体何のためにあんなに無理してまで働いてきたのだろう、と。
無理してまで働いて、ただ体を壊しただけの無駄な時間だったのではないか。
私の十数年間は、ただ苦しむだけの時間だったのではないか。
あんなに頑張ったのに、何が足りなかったというのだろうか。
私の何が悪かったというのだろうか。
進学先の選択?就職先の選択?
違和感や疑問を抱いたまま、自分の気持ちを無視し続けたこと?
自分に問いかける中で、何もかもが間違いだったように思えて、自分の愚かさを本当に憎みました。
私の数十年間はただ苦しむだけ、我慢するだけの時間だったのだ。
何の意味もない時間だったのだ。
そして今さらそんなことに気づいても、もう取り返しなんてつかない。
自分を憎んで過ごす毎日でした。
「もう取り返しなんてつかない」ということからも分かるとおり、
何がいけなかったのかと原因や理由を探して見つけたところで
どうにかなるものでもないのかもしれません。
それでも悩みや問題の渦中にあるとき、人は原因や理由を探したくなります。
なぜなら、それを知って次に生かすこともできるに違いない、と人生の「これから」や「残り時間」をよりよく生きようと考えているからではないでしょうか。
悩むなんて無駄!とか、後悔は意味がない!という考え方から「悩むことそのもの」「後悔することそのもの」を嫌うこともあるかもしれません。私があの頃違和感を無視したように。
だからこそ、悩みながらも後悔しながらも問題を整理し見つめ、気持ちをしっかりと感じることは絶対に必要なプロセスです。
「後悔すること、悩むこと」についてはまた別の機会にお伝えしたいと思います。
憎しみから気づきたどり着いた納得と、「自分は何者なのか」に対する理解
そんなある日、自分に問いかける中で、こんな思いが浮かびました。
「自分は過去のどの場面においても、最善を尽くしてきたのではないだろうか。
大学の選択も、就職先の選択も、まだまだ未熟だった当時の私ができる最善を尽くしてきたのではないか。
そして何より、あんなに頑張った自分を憎むなんて、あまりにひどいことじゃないか」
「私の何がいけなかったのかと責めるような気持ちで考えてきたが、それほど何も悪くはなかったのではないか」
このことに気づいてから、過去の自分を憎む気持ちは、霧が晴れていくかのように消えていきました。
頑張っていた自分を責めて憎むなんて、それこそ本当に最も愚かなことだ、と素直に思えるようになっていきました。
それからは、自分を責めたり憎んだりするのではなく、ただひたむきに考えました。
自分は何者なのか。
本当にやるべきことは何か。
これまでの経験は何のためにあるのか。
考える中では、療養の初期に過去の経験を思い起こして整理していたことが役に立ちました。
あんな経験、こんな経験。
あんな特徴、こんな性格を持つ私が経験した、すべてのこと。
これらはいったい何のためにあったのか。
そしていつしか、すべては「いつも今とこれからの私のため」に存在していたのだと
ごく自然に納得がいったのです。
とりわけ、辛く苦しい経験は、これと似た経験や同じような思いを抱いている人を
より正確に理解し、支援する「私のため」にあったのだと。
そしてその経験を、もうずっと前から生きてきたのだと。
辛く苦しい経験でさえもが私の資源だと心から受け入れられたこの納得感と
その経験をずっと前から生きてきたと知ったことは
私に大きな力を与えてくれました。
では、「私のため」というときの「私=自分」とは何なのか。
「自分は何者なのか」という問いに対する自分なりの理解にもたどり着きました。
私は、自分が分からなくなってもがいている人
自分でいられなくて苦しんでいる人
自分らしくいたい、と頑張る人の手助けをする人。
その人が「自分とは何か」に気づいて
その「自分」を目指し、「自分」になって、「自分であり続けること」を応援する。
それが自分だ、と理解できました。
ひとりで考え、ここにたどり着くのは長く厳しい作業でしたが、それも私の重要な資源です。
誰かと一緒に考えたらもっと早くここにたどりついたに違いない、
と今なら言えるのですが
自分が何者なのかに気づくことは、それだけで本当に勇気づけられることでした。
そして、「これが自分なのだ」と震えるような感動を覚えました。
それはまるで、本当の名前、つまり天から授かっていたもともとの命名を知ったかのような温かく誇らしい感覚でした。
「自分は何者なのか」という問いに対する理解以前の、もっと根源的な真実
震えるような感動と温かく誇らしい感覚を胸に
このあと私は行動を始めることになるのですが
そのさなかで
辛く苦しい経験さえ私の資源という納得と
自分は何者かという問いに対する理解は
「自分は何者なのか」という問いに対する理解以前の
もっと根源的な真実を私に気づかせてくれました。
根源的な真実であるがために
カウンセラー紹介の趣旨からずれてしまうように思うので
ここではお伝えしませんが、何らかの形でお話しできるよう
工夫していきたいと思います。
その自分になるための行動と、その自分であり続けるために提供するもの
以降、その自分を実現するために行動を始めました。
カウンセラーとコーチングの勉強をスタート。
それぞれ資格を取得しました。
私の保持する資格について詳しくお知りになりたいかたは、トップページの上部にある「特徴」をご覧くださいね。
私自身の経験とこういった資格を生かし、その価値を提供することで
人が「自分に気づき、自分になり、自分であり続けることを支援する」のが私「かとうじゅんこ」です。
これをひとつの形として表現したのが、このたび開設した「あなたとみち応援室」です。
・お話をお聴きし、そのかたとそのかたの抱えるお悩みを正確に理解し、支援する技術と姿勢(カウンセリング)
・目標やゴール設定を支援し、達成することを支える技術(コーチング)
・生き方を含めた人生のキャリアをどのように作っていくかを共に考える幅広い知識と技術(キャリア形成の支援)
そして今後も、新たな自分に気づいて、そういう自分になろうと、さらなる行動を起こすかもしれません。
私自身も今まさに「自分に気づき、自分になり、自分であり続ける」みちの途中にいるのです。
あなたとみち
あなたは、晴れた日の夜空を見上げたことがあると思います。
たくさんの星が見えますね。
昔の人々は、星々を線でつないで意味ある星座に見立てました。
一つ一つはバラバラの星たちですが、線でつなぐと意味ある形に見えてくるから不思議ですね。
わたしたちの経験も、まるで夜空に広がる無数の星のようです。
一つ一つはバラバラで、一見すると何のつながりも意味もないように思えます。
そして、もしつなぐことができたら、意味のある形が見えてきます。
「これまでの経験には、こんな意味があったのかもしれない。
きっと、こんな意味があったのだ。
そしてこれからの経験にも、意味があるに違いない。さあ、どんな経験をしていこうか」
そう思えたなら。その意味が見えたなら。経験たちの声が聞こえたなら。
つながれた経験が、まるで夜空に輝く「みち」のように思えてきませんか。
「あなた」がこれまで経験してきたこと、これから経験することで、確かにできていく「みち」。
つまり「あなたとみち」は、ひとつのもの。一体のものなのです。
確かにあるはずの「みち」が見えない、分からない、迷ったなら、
そう、リラックスして、これまでのこと、これからのことをはなしてみてください。
はなし、見つめ、感じ、
これからのことをご一緒に考えていきましょう。
きっと「みち」は見えてきます。
大丈夫です。
「あなたとみち」がひとつのものであると知っている、私がここにいます。
ここでお話したことは、私の目から見た私の人生の一部です。
ほかのかたから見れば、異なる見方もあると思います。
そういった見方を否定するものではありません。
また、ここに示したエピソードのうち
書いてはいないものの今では感じ方が異なっていることがいくつもあります。
過去の出来事そのものは変わらなくても、それに対する見方、意味付けは
人の変容と共に変化するものなのだなと勇気づけられる思いです。
これまでの出会いに、感謝申し上げます。
その他
出身地:新潟県
性別:女性
資格:産業カウンセラーほか多数
(詳細は特徴のページをご覧ください)